『可能性は、ある』
2011年5月石巻にて
その日から約2ヶ月、まだその爪痕が生々しく残っている土地へ有志3人で向かった
ハッとした
信号で停まり、視線を少し先に向けると建物の壁に線が見える、何かの跡、そう水がそこまで来たということ
さらに視線を脇にずらすと瓦礫が・・・
この交差点を堺にしても違いがあったんだ
そして車を進めていくほどに道が走りにくくなって行く
それでも2ヶ月弱で「走ることができる」ように救援が入ったのだろう
東北道を走っているときも、道路が隆起して車が一瞬宙に浮いた
高速で空中に車が飛ぶと文字通り息を呑む瞬間だった
その辺りから瓦が落ちたせいかブルーシートを屋根にかけている家々が目立ち始めた
福島県に入った辺りだったろうか
何ができる訳ではないかもしれない
行くことで邪魔になるかもしれない
でも僕たちセラピストとして
いや日本人として動かなければ
その想いで東北の地へ
目にする光景は言葉にならない
でも目を背けることはできない
今それでもそこで生きてる、から
その活動を受け入れてもらえそうな場所や地域を教えてもらい移動する
車中泊も考えていたが、素泊まりならと宿で受け入れてもらうことができた
活動後半、石巻の小学校へ
ひとつの教室に40人、当然ながら雰囲気は、、、
ほんの氣休めかもしれない
そうもならないかも知れない
だけど少しでも何か僕たちができることはあるんじゃないか
元氣を与えることだけでもできないだろうか
3人それぞれ教室にわかれ、挨拶をして手前にいる方々から声をかけさせていただく
最初は「誰?」という様子、視線や雰囲氣で感じる
セラピストであることを伝え、身体に手を触れさせていただく
一言、また一言話し始めてくれた
次第に周りの視線が集まってくる
「いいなぁ、次こっち来てよ」
「〇〇さん、やってもらったら」
そして、笑顔がひとつ、ふたつ。
まるで無色だったところに笑顔の花が咲いて行くように
下を向いているとこぼれ落ちそうになるのを堪えながら、教室の空氣が温まって行くのを感じた
良かった、一瞬だとしても、この方達の役に立てた
他の2人も同様の反応を得ていた様子
最後の教室、3人で入ってまた挨拶からはじめて、同じように部屋が明るくなっていく
その中で、一人暗い表情をしている若いパパさんがいた
声をかけた。漁師さんだった。
「俺はいいから、嫁さん見てあげてください」
ボソッと家族を気遣う
お子さんはまだ1歳くらいだっただろうか、ママさんが抱っこしていた
「もう、どうして良いか分からない。」
震災で被害に遭ったこと、それ以上に思うところがあった
指を怪我してしまったらしい。動かせない・・・状態
「これじゃあ、網が編めない。仕事にならない。もう、、、」
「みせてもらっても良いですか?」
そうっと手を出してくれるパパさん。
うん、この状態ならきっと動かせる、そう確信。
痛みや動きを確認しながら、
「動く、動いたっ!」
「動かせるよママ!」
諦めていた表情、止まないと思っていた雨が止み、曇天から一筋の光が差し込んだような笑顔と頬を伝う涙が忘れられない
「ありがとう、ありがとうございます。がんばります。」
こちらこそです。本当に頑張って、お子さんのためにもママのためにも、そしてパパさん自身のためにも。
あれからもう15年
お子さんも高校生かな。
パパさんどうしてるかな。
苦しいと思うこと
思い通りにいかないこと
少なからずある
だけど、本当に苦しいとき、そのパパさんのことを思い出す
他にも「諦めていた」人が「自らの可能性」を感じて前を向く瞬間に何度も携わることがある
決まって「ありがとう」という言葉をいただくけれど、
あなたにもありがとうです。
(おわり)