『諦めが習慣化する』

Have you ever, or how often do you think about your life seriously?
If you suddenly lost what you love most, what would you do?
Who’s gonna help you?
If you don’t have anything to support you the way you want, won’t you regret it?
Or have you found anything you love the most in your life so far?
いつもこれから先の人生どうするのか?
と聞くと
いまのままで十分だから特に贅沢も望んでないし、いまが充実しているからという答えが多い。

だけど今のままを保証するものはない。なぜならそれが人生だから。

「自分の意見」は大事。だけど独身であっても家族を持ってても、誰も1人で自分の意向だけでは「いまのまま」でいられない。

我慢すること
耐えること
ストレスには慣れるかもしれない
だけど
諦めることが増えていく人生を
本当に我慢して耐えて慣れて受け入れられるのか?

自分の人生の終わり方
いまのまま充実していくために、何をいま大事にするか?
答えや正解はない。ないけど思うところは
いくつかある。

一つは、
「いまのままで十分」という言葉の裏にある
のは何か?ということ。
「現状維持への根拠なき信仰」なの?

多くの人が口にする
「足るを知る」や「贅沢は望まない」と
いう態度は、一見すると謙虚で成熟した
生き方。
だけどそれが本音なのかな。

現実の世界は常に不可逆で、周囲の環境も、
人間関係も、自分自身の健康や肉体も変わり
続ける、絶対に。

「いまのまま」を保つこと自体、
外的な変化に対する凄まじいエネルギーや
適応力を要するはず。誰でも分かるはず。

それを「何もしなくても続いていく
初期設定」のように錯覚している。

違和感。
もう一つは、
「慣れること」と「諦めること」。
この決定的な違いを理解してるだろうか。

人間は適応する生き物なので、過酷な労働や日々のストレス、小さな我慢には良くも悪くも順応してしまいます。

でも、日々のストレスをやり過ごすことと、「むかし望んでいたことや、大切にしたかった可能性を一つずつ手放していくこと、つまり諦めること」は全くの別物だということ。

諦めが積み重なった結果、気がつけば
自分の輪郭が削れ、選択肢が消えていく。

その不可逆な摩耗に慣れてしまった先に
あるのは「穏やかな日常」ではなく
「生きたままの死」に近い状態です。
あなたは「本当に我慢して耐えて慣れて
受け入れられますか?」
この先「どう終わるか、だから今何を大切
にするか」

「今のままでいい」が悪いわけではない

「人間が自分の人生の手綱を握らずに
流されていくこと」と聞いたときに
そこに危機感と、本気で生きることへの
意識はあるのでしょうか。

他者や環境という不確定要素に晒されながらも
自分の意向だけで生きられない現実
それでも「何を大事にするか」を選び取る。

自分の時間と肉体はいつか必ず終わる
その人生に何を背負いますか。
(おわり)
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